今回は、大阪市住之江区でタンクローリー等の大型自動車の整備をしている「有限会社正一自動車整備工場」様をご紹介致します。


社長の生い立ち
 山口彰社長は終戦直前の昭和20年、岐阜の飛騨市で生まれました。ご両親はこの地で農業をされていましたが、昭和34年、山口社長が中学2年生の時に叔母さんを頼りに大阪に来られました。
 当時は3畳1間の部屋でご両親とお兄さんとの4人暮らし。お父さんは日雇いで材木担ぎの仕事をしていらしたそうですが、山育ちで木を見る目は確かだったため日給は700円。中学卒業後すぐに働きだした山口社長の給与は月給で3,500円だったそうですから、いかにお父さんの腕が良かったかがわかります。「だから父親にはその当時頭があがらなかった」と笑って話をして下さいました。


正一自動車整備工場までの歴史
 中学を卒業した山口社長は、西成区にある整備工場、葛v堀モータースに見習いとして入社。そこから10年間、整備士としての腕を磨き、大型車両の整備の仕事を紹介されたことを機に、昭和43年3月にお兄さんと一緒に南津守で「晃永自動車」を始められました。
 がむしゃらに働いた20代、30代の頃は、やればやるほど収入があがり、中古の家を現金一括で買うことも出来ました。あまりに一生懸命働くので周りの人から「彼は人間じゃない」と言われていたほどだったそうです。

 それほど一生懸命頑張っていらっしゃいましたが、15年後、景気が悪くなったこと等により一度店を清算して山口社長はサラリーマンに、お兄さんは別の自動車会社の下請けとしてそれぞれ別々の道を歩むことになりました。
 しかしお兄さんの仕事が忙しくなり、山口社長がお兄さんの手伝いをしていたところ、再び転機が訪れます。取引先から大型タンクローリーの整備をやる人がいなくて困っているから仕事をやらないかと誘われ、昭和60年から下請組織として始め、昭和63年4月に「正一自動車整備工場」という認証工場の事業主となったのです。従業員も多い時には14名ほど抱える会社に成長し、平成11年4月に法人成りをしました。それが今の有限会社正一自動車整備工場です。


排ガス規制等での不遇時代
 法人成りをして数年が経った頃、取引先の倒産があり、経営を圧迫しました。また、平成14年から排ガス規制が厳しくなり、取引先が排ガス規制の対応車を購入したことで、1回分の車検の仕事が無くなりました。「1回だけなら仕事が飛んでも、借入をしてなんとか回すことができる。次に車検の仕事が回ってくればなんとかなる。」と思い、従業員を解雇せずに頑張っていました。しかし、実際には取引先が車を購入した際にディーラーが車検の囲み込をしていた為、5年間車検が回ってこなかったのです。なんとかしようとギリギリまで踏ん張りましたが、最終的には平成21年3月で従業員すべて辞めてもらいました。取引先に雇ってもらった従業員もいます。そんな不遇の時代もありました。


現在は
 従業員がいなくなったことを機に、すべて外部に委託してスリム化しました。仕事は事務所で電話での依頼を受け、外注に流します。
 取引先もほぼ固定しています。メインの仕事は大型特殊自動車ですが、取引先の従業員の普通車の車検も扱っています。繁忙期は6月から12月。閑散期は1月から5月なので、この時期でしたら特殊自動車の整備を受け入れることが出来ます。排ガス規制から10年、「今年は車検数が増えて、売上が増える見込みです」と社長が嬉しそうに話していらっしゃいました。

今後は
 この業界に入り50年。現在67歳。「良い時も悪い時もあったけど、この仕事が好きだなぁ。まだ会社に借入金があるから、あと5年は現役で頑張る。会社の借入金が終わった後には、外部の人間に任せるつもり。」とおっしゃっていました。
 社長は新聞やニュースをよく見ていらっしゃって、いつも色々な話をして下さるので勉強になります。私が、担当になってから約4年が経ちます。当時はちょうど売上減で、従業員を辞めてもらうところを見ているので、これから売上が上がるのを楽しみにしています。
(担当:望月)



有限会社 正一自動車整備工場 さま
住 所  大阪市住之江区平林南1−3−83松林ビル207号
電 話  06-4702-6557
定休日 日・祝