私は3月1日、古希を迎えましたが、今もって心は十代のままの未発達な状態ですが、1ヶ月前ギックリ腰となり、やっと回復しました。高校卒業後商売人になろうと、関西の信仰レザー(ビニールシート販売等)系列の東京で暖簾分けを受けた、24歳の店主のところへ就職しました。

 当初は納豆のまずさに閉口しながら、東京中を中古自転車に乗り、走り回っていたがある日店主から、「仕事はしなくてもよいから、内観をしないか」との誘いを受け、優秀な先輩が何日も内観をしているのを見て、数日間の内観をしてみました。

 “内観”とは一般に“反省”と同じような意味ですが、“内観”の目的は逆境にさいなまされても、“幸福”だと思える心の住処に大転換の可能性を求めます。

 屏風を前面に正座し、冥想するかの如くに、自己に一番身近な人から、例えば、母親に対し、「お母さんから自分がしてもらったこと、して返したこと、迷惑を掛けたこと」の3つを想い返すことを繰り返していく、すると感謝の気持ちが自然と湧いて来る。このような体験が自己変革を起こし、様々な幸福をもたらす実証があるという内容です。

 私も、毎朝、同僚が仕事を始めると同時に、2階1室で1日中正座し、昼・夜食事をいただき、内観をしていると、1・2時間おきに現状の精神状態を店主が「この時間誰に対する、いつの自分をお調べくださいましたか」と尋ねられるのですが、朝1時間も持たず、足がしびれ、正座など出来ず、誰も見ていないことをよいことに雑念・妄想に悩まされながら、底の浅い内観をしました。

 15年位以前ですが、奈良・郡山商店街を歩いていた時、白い小さな“内観道場”の看板を見つけ、もしやとお訪ねしたところ、70歳を過ぎたであろう内観法創始者・吉本伊信先生に面談できました。早速、1週間の内観をした時、吉本先生がふと漏らされた言葉“人生は一瞬の夢ですね”と云われたことを思い出すことがある。翌年に残念ながら、お亡くなりになりました。

 私が還暦を過ぎたころ、よく妻から、下品・中途半端・思いやりが無い、人を使う立場だから、人格を磨かなければ人はついてきませんよ、との言葉に両親が40代で亡くなったので、家庭の温かみを知らないことにかこつけ、下品は当たり前と放言していました。

 古希を迎え、流石に人格の大切さを想うこの頃ですが、孔子は73歳まで存命だったそうで、4月号には“論語”に触れ、テーマとする予定です。

 また、2月4日に愚息二人の夫婦が、我が家で古希のお祝い、“ふぐ鍋”をご馳走してくれ、妻は家族が揃って、健康で過せていることを大変喜んでいます。