6月に入り夏来る日々となりましたが、ご縁のある皆様はいかがお過ごしでしょうか。私の高校時代の同級生に、俳句・俳人協会新人賞(小説の直木賞に相当)受賞者の佐久間慧子(阿波野青畝門下生)さんがいます。
中村汀女氏の著書に俳句とは「二つの約束事として、五・七・五の言葉を組み合わせとし、季節の言葉を一つ入れる・・心にあふれ、そのまま消し去るにしのびないものを十七字に表現する」とあり、佐久間先生の俳句に対する情熱に惹かれ、つい誘われるままに、同人ということになりました。
俳句の月刊誌"ぶどう棚"に投稿を毎月迫られ、センスがないのか、いい加減な即興の俳句を投稿すると、落ちこぼれの3人の1人だ、俳句は文学ですよ、とのお叱りを受けたり、当初は季語などすっかり忘れたりしながら、毎月10句を提出し何とか継続しております。
佐久間さんの印象に残っている1句は"はらからの我まぬがれし原爆忌""冬涛に向きいるゆえの涙かや"です。
私の毎月投稿句の原稿は添削され、たとえば、"原爆日父母の声聞く墓参り"が"原爆の日の父母へ合唱す"へ"油蝉狭き庭間に鳴き渡る"が"油蝉鳴きたて狭庭揺るる如"にと、すっきりした句に変貌します。
また、我が家から乗用車で20分程のところに、松尾芭蕉・誕生の地、伊賀上野があり、即座に思い出す句のうち"古池や蛙飛び込む水の音""閑さや岩にしみいる蝉の聲""夏草や兵どもの夢の跡"などは、流石に心にしみいる名句だなと感じ入ります。

ところで、嵐山光三郎著「悪党芭蕉」を一読していたら、芭蕉の周辺には幕府を挑発する句を詠んだり、遊び人風の人達や相当危険な人物も多かったようで、芭蕉を批判して、芥川龍之介は「芭蕉は実に日本の生んだ三百年前の大山師だった」とか、正岡子規は「芭蕉の句の過半が悪句駄句である」との一文がありました。

たまたま"歌人"に私と名前が全く同じ「植村祐三」という方がおり、この人の経歴は栃木県沼田市に生まれ、植村婉外と兄弟であり、利根短歌会・利根俳句作家協会等を作り、活躍した明治末期から昭和に生きた歌人ですが、その作に「春浅み月に明るく 粉雪ふる ぬま多の町は 静かなりけり」がありますが、私など感性が足りないのか、余り深く共感を覚えません。
皆さんはいかがでしょうか。また、どうも私の俳句は感性・知的能力がないのか、一向に上達しない気配です。
どうか、暑さも増す日々となって来ましたが、厳しい経営環境の中、御身を大切に今月もご活躍ください。

以上
代表社員 税理士 植村祐三