鈴木由紀子

 先の参院選では支持する候補者、政党に投票されましたか?またその結果は如何でしたか?選挙前、政見放送や街頭演説を見聞きしましたが、内容以上に気になったのが「伝える」技術でした。政見放送で手元の原稿ばかり見る人、カメラの横にある原稿を読んでいるらしく視線が定まらない人は、いくら立派な事を言っても自分の意見を言っているように聞こえませんでした。また、アメリカの大統領選挙をイメージしたのか殆どの立候補者が身振り手振りを入れて話をしていましたが、とってつけたような不自然さ。名前と政党、「お願いします」ばかり繰り返す選挙カーにも違和感を覚えずにいられませんでした。真面目に政治活動をしてさえいれば、政見放送や演説が下手でも問題は無いかもしれません。しかしそもそも政治というのは社会のルールを決め、活動するもので、社会を形成している多くの人間を説得すること、自分の想いを他人に伝えるというのは重要なスキルではないでしょうか。

 先日、第10回本屋大賞1位に輝いた『海賊とよばれた男』(百田直樹 著)を読みました。この作品は出光の創業者、出光佐三をモデルにしたものです。国岡鐵造(出光佐三)は戦後、私財を投げ打って店員の給与にあてリストラは決してしませんでしたが、そこまで大切にしている店員を支える根本とも言える会社や自分ではなく、「黄金の奴隷たる勿れ」を座右の銘に「社会への還元」「消費者への利益」を常に優先しました。その為にGHQをはじめ、様々な権力と戦いますが、最終的には鐵造に軍配が上がります。「その男は、催眠術でも使うのか。あるいはよほど口が上手いか、人たらしか。」と猜疑心を抱いた銀行の頭取も、やはり鐵造に会うと「これぞ銀行家が支えるべき人物」であると感じ、融資を通すのです。

 鐵造同様、抜群の『伝える力』を持っていた人物に坂本龍馬が居ます。捕まれば死罪も免れない脱藩という危険を冒してまでも、自分や自藩の利益を優先する皆を「国の為にはそんな小さい事を言っていてはいかん。」と説得して回り、犬猿の仲であった薩長の間に立って薩長同盟を結ばせ、大政奉還のお膳立てをします。龍馬と親交のあった伊藤博文も 「坂本龍馬は・・・壮年有志の一個の傑出物であって、彼方へ説き、こなたへ説きして何処へ行っても容れられる方の人間であった」 と後述しています。
国岡鐵造と坂本龍馬、2人に共通するのは、「自分の利益ではなく日本国民を優先する」という強い信念を持ち、更にその信念を実行に移す行動力が伴っていることです。

 私が冒頭の政治家たちに違和感を覚えたのは、政治家の命とも言える信念が伝わって来なかったからです。鐵造は融資獲得に失敗した部下から「金融状況が厳しいから」と報告を受けた際、「違う!君の真心が足りないからだ。至誠天に通じると言う。君が本当に事業に命を懸けて取り組む気概があるならば、そしてその事業に利益が出るという信念があれば、その思いは必ず伝わる。」と一喝していますが、他人に自分の想いを伝えるのは、原稿通りの綺麗な文章でも印象的なジェスチャーでもなく、信念に他なりません。技術やスキルではなく、想い、行動力、延いてはその人自身の生き方なのです。

 政治家に限らず、私のこの駄文を読んで下さっている経営者の皆さまは、ご自身の想いを従業員や取引先、銀行など様々な相手に伝えなければならない局面も多いことでしょう。しかし普段から信念を持って行動をしていらっしゃれば、その想いは必ず伝わります。
私自身、娘が1人居りますが、これから成長するにつれ、真剣に話し合わなければならない場面が少なからず出てくるはずです。その時彼女に想いが伝えられるかどうかは私次第。来るべき日に備え、説得力のある生き方をしなければならないと想いを新たに致しました。