代表社員 税理士 植村祐三


青葉輝く季節となり、ご縁のある皆さまには如何がお過ごしでしょうか。
私は本年4月に30年以上住み慣れた、奈良・柳生近く“都祁の里”(西名阪針インター)から(病院も遠く、電車で2・5時間、自動車なら60キロを1時間で通勤出来るのですが、妻が折に触れ交通事故を心配するので)大阪・天王寺のマンションに転宅しました。

天王寺駅より徒歩15分の処に“四天王寺”駅横に”ハルカス(日本一の高層複合ビル(高さ300メートル・60階建)“があり、早速、四天王寺へ夫婦でお参りしました。また、四天王寺の境内に於いては春秋2回開催される古本市場が有名です。釈迦に説法かと思いますが、少し、四天王寺について説明させていただきます。

この“四天王寺”は聖徳太子(49歳没)が、593年に仏教に反対する蘇我馬子と賛成派の物部守屋が戦った際に、物部の味方に付いた太子が、戦勝を記念して仏教を広めるために建立されたと言われています。
聖徳太子は日本仏教の祖として宗派・時代を問わず広く信仰され、太子の創建による四天王寺は平安時代以降太子信仰のメッカとなり、四天王寺の西門が西方極楽浄土の東門(入口)であるという信仰から、太陽の沈む「西」は死者の赴く先は極楽浄土のある方角と信じられ、西門は西方の海に沈む夕陽を拝す聖地として多くの信者を集めたようです。

そして、寺の内部には中央に「本尊救世観音菩薩像」、向かって左に舎利弗、右に六重塔を安置、仏壇周囲に四天王像が立つ。資料によれば、本尊は近世以前では「如意輪観音」とする説が多いが、現本尊は「救世観音」と称されています。また四天王寺が「日本最古の官寺」とする説がありますが、百済大寺とする説が定説のようです。

この聖徳太子は有名な十七条憲法の制定、遣隋使の派遣等天皇を中心とした中央集権国家体制確立を図ったとされ、仏教を厚く信仰し興隆に努めたとされています。
また、聖徳太子の聖人化は「日本書紀」で既に記述されており、8
世紀には「日本の釈迦」と仰がれ平安時代の聖徳太子の伝記「聖徳太子伝歴」が聖徳太子の集大成のようです。
そして、近代における実証研究では、例えば、大山誠一による“聖徳太子虚構説”の主張に対し、雑誌「東アジアの古代文化」102号以下で特集が組まれ、「日本書紀」などの聖徳太子像に脚色があるとして「非実在性」を主張する。
この大山説には多くの批判的意見があるようです。しかし、三浦祐之など大山説に賛同する研究者もいます。

また、私の事務所近くに“我孫子観音寺”があり、折に触れお参りしていますが“四天王寺”の本尊様も“観音様”なので、いつも“一心称名”して願望をお願いし、願いが叶わないのは、自己の至らなさであることを恥じ“今ここに生きる以外に人生はない”と、心に言い聞かせています。
二宮金次郎も日記に人生は”薄氷を踏む如しであった”と述べていますが、ご縁のある皆さまと共に精一杯人生を送りたいものです。また、近くにお越しの節には、是非お立ち寄り下さい。

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