この度の東日本大震災により亡くなられた多くの方々に対し、ご冥福を心からお祈り致します。

私は8才の時、広島で原子爆弾に遭遇し、十代から二十代には体調が思わしくない状態が続きました。また、被爆1ヶ月後には台風により広島市中心部を流れる大田川の堤防が崩れ、住宅が水浸しになった体験を思い出しました。

私の両親は香川県出身で高松市近くにお墓があるので、お盆には“交通事故をするな”と妻から注意を受けながらも、毎年乗用車で里帰りします。

妻の両親は京都生まれ、同志社大学の横にある相国寺内の大光明寺にお墓があり、私の自宅は奈良市とは言え、大阪から西名阪で二山越えた大和高原(都祁の里)に住んでおり、お彼岸に久しぶりに、電車で1日がかりで墓参りに行きました。

京都五山の一つである“相国寺”は1392年に夢窓疎石を開山とし、時の将軍・足利義満により創建された臨済宗相国寺派の大本山であり、幕末には禅の一大メッカでした。

相国寺の“承天閣美術館”第二展示室には、近世京都画壇の奇才、伊藤若冲による水彩画の傑作である重要文化財「鹿苑寺大書院障画壁」の一部が移設展示されており、お墓参りの後、春の日をゆっくりと絵画を堪能してきました。

同年配の相国寺第百十三世住職の碩学大典禅師(当時第一級の知識人、詩僧)と昵懇の間柄であり、この大典禅師も若冲と同じ墓地に眠っています。

伊藤若冲(1716-1800・84歳没、古寺巡礼京都2 相国寺 足立巻一 有馬頼底著 参照)は京都“錦市場”青物問屋の三代目桝屋伊藤源左衛門の長男に生まれ、23才で父が没したので青物問屋の若旦那となり、40才で家督を次男に譲り画業に専念した。

大典禅師は若冲が『会心の大作三十幅、代表作「動植綵絵」と「三尊画像」を相国寺へ喜捨しており、若冲の独創性を高く評価し、写生の精神を強調しており、窓の下に数十羽のニワトリを飼って写生し、草木・鳥・獣・魚介の真実を描き、その作品はまことに豊麗な色彩により生物の諸相が濃密に描かれており、その構図も例を見ない花鳥図にはない独創性の世界である』と紹介しています。

若冲は42歳頃から、代表作となる濃彩花鳥画「動植綵絵」シリーズに着手し、身辺の例えば、鶏の生態をひたすら観察し続け、朝から晩まで徹底的に基極め、ついに「神気」を捉え、おのずから絵筆が動き出したという。完成までに10年を要した同シリーズは全30幅の大作となり、日本美術史における花鳥画の最高傑作となっています。

たまたま、妻の兄は義父の形見として伊藤若冲作と云われる掛軸を持っているので、一度なんでも鑑定団に鑑定をしてもらったらと興味津々です。

また、相国寺内にある“雁の寺(瑞春院)”が有名で、直木賞作家・水上 勉が少年時代を送ったところですが、現在は見学中止となっておりました。


以上 
平成23年4月1日
税理士法人マークス
代表社員 植村祐三